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公開日:
2019.6.3
更新日:
2020.6.9

放送作家・脚本家| プロフェッショナル夢名鑑

放送作家・脚本家| プロフェッショナル夢名鑑

テレビやラジオの番組を制作する際に、企画や構成を考える仕事を専門に行う放送作家。どうやってなるの?どんなことをするの?という疑問を伺いました。

作家は楽しむことのスペシャリスト。
こうしたらもっと面白くなるかな?と常に考えています。

今良いなと思う番組は「きのう何食べた?」と「激レアさんを連れてきた」。
今後はグルメ系や恋愛ご無沙汰の方がキュンとするようなドラマ作りに挑戦したいそう。

放送作家とは、どのようなことをするのですか?

ほし 番組の企画や構成を考えます。例えば今度こんなドラマを作りたい、とテーマをもらい、案出しをします。その後、会議で話し合いをして案を絞り、ストーリーを考えていきます。けれども、私が考えたものがそのまま映像にはなりません。監督やプロデューサー、現場の意見も入って変わるんですよ。最初は意図しない変わり方に戸惑いもありました。でも、この業界はチームで作るから、それが当たり前なんですよね。

放送作家を目指そうと思ったきっかけは何ですか?

ほし 小学生の頃からテレビが大好きだったんです。番組の最後にスタッフロールが出ますよね。そこに名前が載る仕事をしたいと思っていました。今でもテレビやラジオは大好きで、ドラマも字幕で見てセリフを全部チェックしちゃいます。

テレビ業界に憧れていたんですね。

ほし そうですね。放送作家を意識したのは中学生の時。国語の教科書に掲載されていた「字のないハガキ」というエッセイとの出会いです。すごく好きで何回も読み、作者にも興味をもって調べたら、向田邦子さんという放送作家・脚本家と知りました。そんな仕事があるんだ、私もなりたいなって思ったんです。

ずっとその夢を追っていたんですね。

ほし でも、私は三姉妹の長女だったので地元でお婿さんをとって家を継ぐんだ…という気持ちもありました。それが変わったのは、落合恵子さんのエッセイを読んだ高校生の時です。女性も自分らしく生きていいという内容で、衝撃でした。「自分らしくやりたいことやっていいんだ」って。それで、放送作家を目指そうと決めたんです。

放送作家になるために、具体的にどうしたんですか?

ほし まず、日本大学芸術学部からマスコミ業界に入る人が多いと知り、そこに進学しようと決めました。高校3年生の夏・冬には日芸を目指す人向けの東京の予備校に通い、同じ志を持つ仲間にも出会いました。結局親のアドバイスもあり別の大学に進学しましたが、予備校の仲間とは交流が続いたんです。

進学後はどのようなことをしていましたか?

ほし 学外活動やいろんなアルバイトをしました。劇団の手伝い、台本印刷所で打ち込み、テレビ局で番組表作成、雑誌のライターなど。予備校仲間を通じてマスコミ業界の方と知り合いにもなりました。そこで漫画家の河合克夫さんから「作家になりたいなら、いろんなところでアピールした方が良いよ」とアドバイスしていただきました。半信半疑でしたが、その通りにしてみたんですよ。そしたら、たまたま作家も募集している事務所があることを教えてもらい、大学4年の時に「古舘プロジェクト」という事務所に企画書を送ったんです。

それで、そこに就職したのですか?

ほし いえ、音沙汰もないまま卒業を迎え、出版社でアルバイトしながら目指すことにしました。そしたら、卒業後すぐに古舘プロジェクトから放送作家を募集するから履歴書を送りませんか?という話が来たんです。それで、履歴書を送り一般企業のような筆記試験と面接を受けて放送作家見習いになりました。

見習いとは、どんなことをするのですか?

ほし 先輩の手伝いです。図書館で資料を探したり、ワープロ原稿の清書をしたり。「はなまるマーケット」という番組のコーナーで使うクイズを作る仕事もありました。良い仕事をすれば、少しずつ番組に呼んでもらえるようになるんです。でも、女性目線が欲しいという理由で呼ばれることも多く、性別関係なく評価されたいという葛藤もありましたね。そんな時ある番組の制作で、たまたま私の企画を見た作家さんが声をかけてくれたんです。自分の企画を評価してもらえて嬉しかったですね。とにかく忙しい毎日だったけど、やりたいことだったので充実感がとっても大きかったです。

スタッフロールに初めて名前が乗ったのは、何の番組だったのですか?

ほし 「筋肉番付」という番組の特別版で、全日本PK選手権という番組。それが最初です。印象に残っているのは、ネットシネマで脚本を書いた時、一回だけ映画館で試写会をしたんですよ。そこで、映画のスクリーンに脚本で私の名前が出たときには震えましたね。

独り立ちまで、どのくらいかかったのですか?

ほし 見習いからだいたい3年くらいですね。その後は、30歳を過ぎたくらいに独立しました。独立後は今まで一緒に仕事をしていた人が呼んでくれ、いろんな仕事をしました。私は再現VTRを書くのが好きで、それを知る人は再現メインの番組で声をかけてくれました。プラネタリウムの企画もありました。人気の男性声優とデートというテーマでナレーションを作る、という。そういったのが大好きなので、妄想して楽しかったです。今は子どもと一緒に地元の会津に戻ってきて、テレビやラジオにこだわらず仕事をしています。この仕事は、いくつか同時にしている場合がほとんど。同時進行することでバランスを取りつつ、相乗効果も生まれるんですよね。

放送作家になるために必要なことはありますか?

ほし 作家は楽しむことのスペシャリスト。こうしたらもっと面白いかな、と考える仕事だから、普段の生活でも面白くする方法を考え、何でも楽しめれば良いんです。学生の時にいろいろやるのも良いと思います。あとは、しつこさ。とにかくなりたいって思ったらあきらめないでほしいですね。

昨年秋放送のミニドラマの脚本。
アニメの脚本やAbemaTVのようなネット番組のお仕事もしています。

お仕事の必需品はPC。
旅行にも持ち歩かないと不安になってしまうそう。

お名前
ほし 友実(ほし ともみ)さん
出身地
福島県会津若松市
出身校
会津女子高校(現 葵高校)→共立女子大学 文芸学部 芸術学専攻 劇芸術コース
現在担当している番組
テレビ/にじいろジーン(関西テレビ)
ラジオ/菊池桃子のライオンミュージックサタデー(文化放送)、
阿澄佳奈 星空ひなたぼっこ(AG-ON Premium)

※この記事はaruku2019年6月号に掲載したものです。内容は取材時のものです。