2011年の東日本大震災をきっかけに自分の進むべき道が決まったという渡辺さん。将来を担う若き女性自衛官にお話しを伺いました。
「損得でなく良し悪しで動ける」そんな自衛官を目指しています。
小さい時はどんなお子さんでしたか?
渡辺 運動が好きで、バスケ、陸上、よさこいなどいろいろやっていました。学生の時はボクシングもやっていたんですよ。そんな私が自衛官を目指すきっかけになったのが、高校2年生の3月に起きた東日本大震災。ちょうど進路を考える時期で、それまで自衛官は選択肢になかったんですが、災害救助に取り組む自衛隊の方々を見て、とても人の為にできる仕事だなと感じて。困っている人のために自分の身を挺していけることがすごいなと高校生ながらに思い、自衛官になりたいと思いました。
防衛大に入るための受験勉強は大変でしたか?
渡辺 私は受験勉強を始めたのが遅く、高3で部活を引退してからだったんです。あの時は我ながらよく頑張ったなぁと思うくらい一生懸命勉強しました。最初は模試でD・C判定だったんですが、絶対合格する!という強い目標のおかげでだんだん成績も上がっていきました。短期間でも集中して勉強ができたのはとても大きかったなと思います。
防衛大学校ではどんなことを学んだんですか?
渡辺 一般の大学と同じく物理や英語の授業もあるんですが、他と違うのは訓練や防衛学があるところですね。私は機械工学を専攻していて単位も取得しました。重い荷物を持って何キロも歩いたり、敵を攻撃・防御したり基本訓練は辛かったですが、卒業してみれば楽しいことばかりでした。全国から500人くらい同期が集まるので、訓練も自然と団結感が生まれるんです。今も同期とは連絡を取っていて、近況を報告しあうことは励みになりますね。
普段の訓練や任務ではどんなことをしていますか?
渡辺 私は対空防衛という空を守る任務に就いており、「短SAM」と呼ばれる機材を扱う小隊で小隊長をしています。具体的には敵の航空機等を地上から誘導弾で撃退し、味方の部隊を敵の航空攻撃等から守る任務です。小隊長として18歳~55歳の男女15人の隊員をまとめています。他にも山の中を長時間歩く訓練など、訓練で全国各地に行くことも多いです。
小隊長として苦労したこと、やりがいを感じるところはどんなところですか?
渡辺 初めは経験も知識もあまりなく、現場にいる人達の上に立つので、隊をまとめて指示や命令をしたりするところに苦労しました。でも1年もすると信頼関係もできて、隊員に助けてもらうことも多くなりました。幹部候補生時代に尊敬する教官に「損得でなく良し悪しで動ける人になれ」と言われたことは今も意識していて、部隊を強くするためを考えながら訓練内容を立てることもあります。その計画の成果が見えたり、部隊が強くなっていたりすると感じる時はやりがいがあるなと感じています。
昨年は台風19号で県内でも甚大な被害が出ました。
渡辺 その時私の部隊は人命救助でいわき市へ行きました。夏井川が氾濫し、水が家の2階まで浸水している地区で、孤立した何百人もの市民の救助にあたりました。そのあと行方不明者の捜索、給水、給食などの被災者への生活支援、災害ごみの撤去活動まで1か月半くらい行いました。住民の方から感謝された時は、人の為になっているんだなと実感しましたね。
女性自衛官ということで苦労したこと、反対に良かったことは何かありますか?
渡辺 自分は小柄ではありますが男女の差で苦労を感じたことはないんです。だから何をやるにも一緒、訓練も一緒。不便なのは女子トイレが少ないことくらい(笑)。体格差で男性が有利なこともありますが、逆に隊のコミュニケーションを円滑にすることや、災害救助時に女性だから出来る支援もあるので部隊としてお互いカバーし合っていると思います。女性が少ないので顔も覚えてもらいやすいですしね。
将来を考える子どもたちにメッセージをお願いします。
渡辺 自衛隊に限らず、いろんな職業を知ることは大事だと思います。調べていくと世の中のいろんなことが分かるし、興味も出てくるし。自分が何をやりたいか、焦らず決めていけたら自分のやりたいことが見つかると思います。自衛隊と一言でいっても実は様々な職種があるんです。車が好きなら車両整備、パソコンが得意ならITや通信関係、楽器が得意なら音楽隊、そして医療分野まで幅広い職種があるので、自衛隊の中で好きなことや特技を活かすこともできると思いますよ。
- 陸上自衛隊 郡山駐屯地 第6高射特科大隊所属2等陸尉/渡辺美穂さん(わたなべ みほ)さん
- 出身地
- 福島県須賀川市
- 学歴
- 郡山高校出身・防衛大学校 機械工学科
- お休みの日の過ごし方
- バスケ、DVD鑑賞
※この記事はaruku2020年3月号に掲載したものです。内容は取材時のものです。