3月30日から放送が開始された朝の連続テレビ小説「エール」。その主人公「古山裕一」のモデルとなった古関裕而が青春時代の2年間を川俣町で過ごしたそうです。今回は、古関メロディーと合わせてその原点ともいえる川俣町との深い関わりについて紹介します!
古関 裕而
古関裕而と川俣町との関わりが最も深くなったのは、古関裕而が18歳の頃。福島商業学校を卒業後、川俣町に住む伯父が頭取を務める川俣銀行に就職した事がきっかけだったそうです。古関裕而は、元々作曲に関心があり、仕事をしながらも音楽活動を活発にしていました。もともと文化や芸術が盛んな川俣町では友人にも恵まれ、銀行内でも終業後には夜な夜な音楽好きが集まってメロディーが飛び交ったといいます。
10代最後の2年間を川俣町で過ごし作曲を楽しんだ古関裕而は、英国のコンクールに入賞し、それがきっかけで妻となる金子さんと巡り合いました。結婚後は、コロンビア専属作曲家として上京し活動の幅を広げますが、作曲家として成功した後も川俣町との繋がりが続きます。「川俣中学校校歌」「川俣音頭」「川俣町民の歌」など、川俣町のために様々な曲を作曲したそうです。
川俣町に住んでいた時に古関裕而が実際に使っていたオルガンや、銀行に勤めていた時に下宿していた叔父の家(ちりめん屋)が当時のままの姿で残っているそうです。この機会に一度川俣町に行って、実際に古関裕而の歴史に触れてみるのも面白そうですよね。
場所/伊達郡川俣町字瓦町14(仙台屋呉服店)
※見学ご希望の際は川俣町役場 産業課(024−566−2111)までお問い合わせください。
伯父の武藤茂平の家は「ちりめん屋」と号し、味噌(みそ)、醤油(しょうゆ)の醸造を業としていましたが、そこに居候として世話になり、毎日瓦町にあった銀行まで通ったといいます。彼は一番末席で、銀行が暇な時は、帳簿の間に五線紙をはさんでは作曲に明け暮れたと述懐しています。
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