バスケットでも何でも、スポーツは人生を豊かにするものだと思います。
藤田さんは何歳からバスケットを始めたのですか?
藤田 バスケとの出会いは9歳の時です。私はアメリカ生まれですが、小学生のときは日本で過ごしていたんですよ。とにかく落ち着きがない、じっとしているのが苦手な子どもでした。そんな私に、何かスポーツをさせようと親が色々やらせてみたんです。野球、サッカーなどやってみた中で、一番楽しいと感じたのがバスケットボールでした。ドリブルやシュートなど、全身を使ってプレーするスタイルが自分に合っていたのでしょうね。それからどんどんバスケが好きになって、中学からハワイへ引っ越した後もずっと続けました。いつかはアメリカのNBA(※)選手になるのが当時の夢でしたね。
(※) NBA…アメリカのプロバスケットボールリーグ。
その頃から選手を目指していたのですね。指導者の道に進もうと思ったのは、プロに入ってからですか?
藤田 大学生のときから考えていたので、プロに入る前からですね。NBAの選手になるには、自分の体格や力が全然足りませんでしたし、自分はむしろ指導者としてプロバスケの道に進みたい、と考えていました。日本では「日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)」が開幕した頃だったので、より自分の力をそこで活かしたい!と思っていました。日本は自分の故郷ですし、バスケを活性化していきたい、という気持ちもありましたから。そして大学卒業後、『浜松・東三河フェニックス』にプロ選手として入団することができたのです。
チームではどんな活躍をされていたのですか?
藤田 浜松・東三河フェニックスでは、中村和雄監督・ヘッドコーチのもと3年間プレーをし、シューティングガードを任されていました。漫画の『スラムダンク』で言うと、三井寿がやっていたポジションですね。ここぞという場面で3点シュートを入れたり、決勝点を決めたり、自分としては一番おいしい役だったと思います。中村監督はいまでも尊敬する人ですが、とにかく厳しい。厳しいけれど愛情を持って指導する人でした。そんな監督のもと、チームが一丸となって2009-10年のシーズンで優勝したときは、本当に感極まりましたね。
現在は指導者の立場にいる藤田さんですが、選手の力を伸ばすためにどんなことを心掛けていますか?
藤田 選手と指導者では全く立場が変わりますが、私は現役選手と年齢が近いぶん、お互いに意見を言いやすい環境でいたいなと思っています。でも友達のような仲になってしまうと、選手になめられてしまう。線引きが難しいところですが、選手との距離感をうまく保ちながら指導していきたいです。いまは、選手にああしろこうしろ、これはダメあれはダメ、と縛るのは古い教え方だと思うのです。選手は“水がすぐあふれるような小さいコップ”ではなく、“どんどん水を蓄える大きな器”のつもりで成長させてあげたいのです。そして、選手がのびのびとプレーをしながら、チームのレベルを高めていきたいですね。
藤田さんは昨年誕生した福島ファイヤーボンズの初代ヘッドコーチに就任しましたが、どんなチームにしていきたいですか?
藤田 実は、私の母方の祖父母が会津若松市出身なんです。小学生のころ、よく会津に遊びに来ていたこともあって、今回福島のチームに就任できたことがとても嬉しかったですね。チームも二本松出身の菅野選手を始め、若い選手が多いです。でもチームとしては誕生したばかり。お互いの特徴もレベルもまだ探り探りの状態ですが、若いパワーを結束させて、お互い家族のようなかけがえのない存在になっていきたいですね。
藤田さんにとってバスケットの魅力は何でしょうか?
藤田 うーん…たくさんありますが、やはり苦しい試合を乗り越えて、チームメイトが一丸になって勝利を分かち合えた瞬間。あの瞬間はもう一回と言わず、何度でも立ち会いたいですね。バスケットでも何でも、スポーツは人生を豊かにするものです。体を動かして、汗をかく。単純だけど気分がリフレッシュできるし、健康な体を作れる。スポーツを通じて仲間もできるし、どんどん自分の世界が広がる…良いことしかありませんからね。練習がきつくても壁にぶつかっても、好きなら必ず乗り越えられるし、全ての力になりますから。
10月にいよいよ今シーズンが開幕します。藤田さんの意気込みを聞かせてください。
藤田 今年は福島ファイヤーボンズの初年度という大事な時期です。チームとしてはまだまだこれからというところですが、初代HCを任せられた分、結果がついてくるように最後まで戦っていきたいと思います。そして、シーズンを通しながら県民の皆さんの“生活の一部”になれるような、そんな愛されるチームになりたいですね。ぜひみなさん、試合を見に来てください!
【経歴】
2008年 浜松・東三河フェニックスに入団。
2010年 宮崎シャイニングサンズに移籍。2011年引退。引退後は宮崎の通訳兼テクニカルコーチを務めた。
2013年 群馬クレインサンダーズのアシスタントコーチ、後にヘッドコーチ代行に就任。
2014年 福島ファイヤーボンズ初代ヘッドコーチに就任。
- 福島ファイヤーボンズ ヘッドコーチ 藤田 弘輝(ふじた ひろき)さん
- 出身地
- アメリカ合衆国 サンフランシスコ生まれ。日本人のお母さんを持ち、小学生のときは日本で、中学からはハワイ州で暮らしていたそう。
- 出身校
- ハワイ大学ヒロ校
- お休みの日の過ごし方
- ギターやゴルフ。
音楽を聞いたり、映画を見るのも好き。
※この記事はaruku2014年9月号に掲載したものです。内容は取材時のものです。