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公開日:
2024.9.1
更新日:
2024.8.30
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あんなコト、こんなコトありました!市民目線で振り返る郡山100年史

あんなコト、こんなコトありました!市民目線で振り返る郡山100年史

郡山市が誕生してから100年間の大きな出来事の裏では、郡山市民の生活の変化もありました。当時の出版物や新聞記事などから、その時々のトレンドやモノの値段など、当時の人々の生活が垣間見える出来事を紹介します。

100年前 大正13年(1924年)
9月1日に郡山市制施行!その時のまちの様子は?

(大正13年当時の郡山公会堂)

郡山町から「郡山市」となったこの日、市内は朝からお祝いムード一色。福島民報の新聞記事によると早朝に21発の祝砲を放ち、各家では国旗を掲げ、学校の職員や生徒が小旗を振って市内を万歳しながら練り歩き、大人たちは業(仕事)を休んで市制の記念日を祝福したそうです。また11月3日には郡山公会堂で市制祝賀会と落成式が行われ、花火があがったり、麓山公園では自動車競走も行われたりと、観衆を楽しませていました。

昭和10年(1934年)
郡山の名物・鯉が生きたまま海軍省へ!


安積疏水完成により、鯉の養殖がより盛んになった郡山市。昭和初期には農家の自力更生を目的に鯉の養殖が推奨され、鯉の一大産地に。昭和10年12月には丸々と太った鯉1,200貫(4,500㎏)が、なんと生きたまま郡山駅から活魚車(鉄道貨車の一種:写真)を使って海軍省魚納所(当時)へ送られました。今のような輸送技術もない時代、輸送中は鯉を入れた水槽の酸素濃度を一定にするため、ひたすら柄杓(ひしゃく)で水を攪拌(かくはん)しながら運んでいたとか…。

昭和10年代後半(1940~1944年)
戦時中でもお正月にはハロウィンのような風習があった!

(隣組防火隊による消防演習のようす)

昭和10年代後半、戦争が激化し配給制度に防火訓練、勤労奉仕など郡山の人々の生活も戦争一色に。それでもお正月は特別な季節。宴会や旅行などはできませんでしたが、年末年始の神事は必ず行い、旧正月には「かせどり(またはカッカ)」といって、子どもたちが蓑笠(みのがさ)をつけて近所の家を周り、鶏の鳴きまねをして餅やお金、みかんなどをもらって歩く風習がありました。まるでハロウィンのようなこの風習は、戦時中の子どもたちの心を明るくしていたのかもしれません。

昭和20年代(1945~1954年)
戦後復興の郡山市に、続々と映画館がオープン!冬の娯楽には…スキー!?

(堤下にあったみどり座/郡山市図書館/デジタルアーカイブより)

戦前から郡山市には映画や芝居を行う劇場がありましたが、戦後は駅前の発展とともに映画館が増え、昭和30~40年代には市内に20館ほど点在していました。昭和35年(1960年)頃の映画観賞料は、大人平均100~130円。ちなみに市内の高校では、高校生同士で映画館(一部を除いて)に入ることを禁止していたとか。

(磐梯熱海温泉パンフレット(昭和30年代頃か)に掲載されていた安積山スキー場/郡山市図書館/デジタルアーカイブより)

昭和27年(1952年)には額取山(別名:安積山)に今は無き「安積山スキー場」がオープン。雪が積もると県内外から訪れた人々が磐梯熱海駅(当時は岩代熱海駅)からのぼり、スキーに、温泉に楽しんでいたそうです。また、初心者のための駅前スキー場もあったとか。当時のパンフレットには「山岳スキーの豪快味を満喫し」、「駅前スキー場は初心者の練習に好適」と紹介されています。
さらにこの年には、麓山公園での移動動物園にはのべ約20万人、開成山公園の櫻まつりにのべ約50万人(!)の人出があったそうで、人々の娯楽が増え、生活が豊かになってきたことが伺えますね。

昭和30年代(1955~1964年)
市民生活を支える駅前デパートが次々にオープン


駅前の発展に欠かせないのがデパートの存在。昭和30年代は第2うすいが開店し、クローバー、トミヤ、郡山丸光などかつて存在したデパートが、市民の生活を支えていました。現在も続くうすい百貨店(当時はうすゐ)にはかつて屋上遊園地やプラネタリウムがあり(写真の中央上と右側上に見えます)、当時の子どもたちはそこで遊んで、レストランでお子様ランチを食べるのが憧れだったとか。まさに夢のデパート!

昭和40年代(1965~1975年)
世は高度経済成長期。全国初となる私立女子工業高校(のちの尚志高校)が開校

(写真提供:尚志高等学校 昭和40年の授業風景。機械は電子計算機のレミントンユニバック120型)

昭和39年(1964年)、全国初となる私立女子工業高校が開校(のちの尚志高校)しました。この頃は高度経済成長の真っ只中で、男女の高校進学率も80%に上昇していた時期。女性の中堅技術者を増やすため産業界とタイアップし、高校として日本初の情報技術教育を行っていました。志の高い女子高生が勉強に励んでいたのですね。

昭和50年代(1975~1984年)
大手デパートも次々に郡山に進出!

昭和50年(1975年)には丸井郡山店(現在はダイワロイネットホテル郡山駅前)、ダイエー郡山店(のちにトポス、現在は駐車場)、翌年には西友郡山西武店(現在はAti郡山)がオープン。最先端のおしゃれがそろうデパートに、郡山市民だけではなく周辺の市町村や栃木方面からも、たくさんの人が買い物やデートに訪れていたそうです。

昭和54年(1979年)の駅前通り。


丸井があった昭和59年(1984年)の駅前。この2年前には東北新幹線も開業し、昭和50年代は郡山市民にとって新しい時代の幕開けだったのではないでしょうか。

平成元年(1989年)
昭和から平成へ。今も子どもたちに大人気のレジャー施設が続々誕生


激動の昭和が終わり、平成時代へ。学業のゆとりや男女平等を掲げる時代に入り、学校週5日制が段階的に導入され(40代以上の方、最初は第2土曜が休みだったこと覚えていますか?)、公立高校の共学化も進みます。ちなみに平成元年は郡山カルチャーパークや郡山ユラックス熱海がオープンした年。現在は11.8%の15歳未満の子どもの人口が20%を超えていた頃で、週末や夏休みなどは今以上にたくさんの子どもでにぎわいました。

平成13年(2001年)
21世紀に突入したこの年、郡山のランドマークタワー「ビッグアイ」が誕生


平成10年(1998年)にビッグパレットふくしまやイオンタウン郡山がオープンするなど、大規模施設が誕生していった郡山。平成13年(2001年)にドーンと誕生した高さ132.6mのビッグアイは福島県で一番高いビル、商業施設の「モルティ」、世界一高いプラネタリウムがあるスペースパーク、オフィスフロアや公立高校も入るなど、とにかく話題づくしで市民のほとんどが驚いたはず。特に福島1号店となるスターバックスコーヒーのオープンは、心待ちにしていた市民も多かったのでは!?

令和6年(2024年)
ついに郡山市制施行100周年!

(令和6年4月にリニューアルした開成山公園)

約3万9千人の人口だった郡山市が、100年で約31万5千人になり、東北第2位の経済都市へ大成長!第二次世界大戦、東日本大震災、新型コロナウイルス蔓延(まんえん)など、生活が脅かされる時もあれど、郡山はその度に復興し、成長し続けてきました。これからの100年に向けて、新しく豊かな郡山市の歴史が積み重ねられますように。

【参考文献・資料】
ふくしまの20世紀-福島民報が伝えた百年-/福島民報社
語りつたえる郡山の戦争/終戦五十年・平和を求める郡山実行委員会
郡山経済新聞 復刻版 上下巻/渡邉一也
郡山・歌はなつか史/郡山市制50周年記念実行委員会
郷土の歩み/遠藤典夫
福島民報 各日新聞記事
郡山市住民基本台帳人口(地区別・年齢別) https://www.city.koriyama.lg.jp/site/toukeikoriyama/5834.html

過去記事もチェック!
「あぁ懐かしい。写真で振り返る、郡山タイムスリップ」
https://www.arukunet.jp/134632/

郡山市制施行100周年記念ポータルサイト
https://www.city.koriyama.lg.jp/site/100th/

郡山市政策開発課

お問合せ

福島県郡山市朝日一丁目23-7


※この記事は2024年8月に制作したものです。内容は取材当時のものです。