放課後に、親しみやすい店主に見守られながら選んだ駄菓子。
そんな懐かしさを探しに、郡山にある駄菓子屋さんに行ってみました。
1985年から続く「くりちゃんショップ」
どこか郷愁を感じる、地域に根ざし愛され続ける昔ながらの駄菓子屋さんです。取材当日も小学生たちが元気に来店。親子で駄菓子を買いに来る姿もみられました。
店主のくりちゃんこと栗原さんにお話を伺うと、もともとは珠算教室でのご褒美等で駄菓子をあげていたことが開店のきっかけだったそう。次第に買いに来る子どもたちが増えたので、駄菓子屋さんとしても活動し始めたとのことです。
写真は1985年5月5日発行『月刊こおりやまJOHO』に掲載された当時の様子。昔は地域に13店舗ほどの駄菓子屋さんがあり、それぞれのお店が、雑貨や日用品なども合わせて販売していたとのこと。
くりちゃんショップでは、文房具などもお手ごろな価格帯で販売し、主流だった10円コーナーはもちろん、当時は斬新だった5円コーナーの駄菓子が子どもたちに大人気だったようです。
店内に入ると、そこはまさに宝の山!昔懐かしのものから、現代の駄菓子までラインナップは様々♪パッケージが一新されたものや、工夫を凝らしたものなど、時代の変化とともに進化した駄菓子や、昔ながらの姿を維持し続ける定番ものなど、違いを見つけるだけでも楽しめます。
ロケット鉛筆など、子どものころを彷彿とさせる文房具やおもちゃがいたるところに。眺めているだけでも微笑ましくなりました。
栗原さんオススメの現代菓子。
くろいぷくぷくたい エアインチョコ
「真っ黒い見た目なのに、甘くておいしいんです。」
こがしキャラメル味のエアインチョコは栗原さん一押しで、店番の合間についつい食べちゃうそうです。
アニマル・ヨーチ・クラッカー
クラッカーに砂糖菓子をのせて焼き上げている昔ながらのクラッカー。
パッケージにはかわいい動物の顔がプリントされていて、お店に並ぶとすぐに売り切れちゃうそう。
「くりちゃんショップ」で発見した、arukuスタッフオススメのお菓子たちを紹介!
駄菓子の王道!といったらこの3品!
どりこ飴本舗のきなこ当
駄菓子といったらやっぱりコレ!黒糖と水飴をきなこで練り合わせた素朴な味が優しくていいんですよね。
楊枝の先が赤ければ当たりでもう一本!……残念。はずれでした(笑)
棒かる(カルメ焼き)
20代~30代の人なら、理科の実験でファーストコンタクトを果たした人も多いハズ!
砂糖と重曹で作るシンプルな味が思い出の駄菓子。
■懐かしの味 ソースせんべい復刻版
子どものときに、地域の紙芝居のお供として食べたソースせんべい。付属のソースをつけてパリパリ食べるもOK!マヨネーズなどをトッピングしてアレンジするのもおススメです。
今も昔も大人気!金券付きのあのお菓子♪
左上から 「グミ ラムネボトル」、「この人だ~れ?」、「サッカースクラッチ」、「ヤッターめん」、「へんてこキャラ」、「忍者スクラッチ」
グレープ、ヨーグルト、ソーダなど、いろんな味のラムネ菓子やグミはむしろオマケ!という人も多いのでは?食べておいしい、当ててもおいしい金券付きのお菓子たち。ふたの裏側に当たりはずれがあるタイプや、スクラッチタイプなどバリエーションは様々!おまけにシールが入っているタイプもあります。
私も久しぶりに買って挑戦してみましたが……結果はすべてはずれでした(苦笑)
でも、これもひとつの醍醐味!
通称「ペペ」!ラーメンとしてもパスタとしても楽しめる人気商品。
ペペロンチーノ
もちもちの麺にガーリックの旨みが効いた、お湯を入れて食べるタイプの駄菓子。お湯を切らずに食べればラーメン、お湯を切って食べればパスタに変身するジャンクな味が好きな人にはぜひ試してほしい一品。軽食として多べるのもOKで、子どもたちにも大人気!
つい、もう一個とつまんでしまう優しい味のスナック菓子。
「玉葱さん太郎」、「たこやき テキサスコーン」
一度食べはじめると手が止まらない系の、コーンの風味漂うスナック菓子。昔ながらのパッケージにも魅力があって、「できたての味だよ アルミ包装 新鮮さが ながーもち」というフレーズから今では当たり前なアルミ包装が当時は画期的だったことがうかがえます。
好きな人は好き!甘酢漬系駄菓子。
すもも漬
すももの甘酢漬け。コリコリした触感が面白くて、さくら大根などと一緒に愛される思い出の味。パックにストローを突き刺して汁まで飲み干すことが流行りました。
今回紹介した駄菓子は、数多くある駄菓子のほんの一部です。私のように思い出の一品を探したり、スーパーなどでは売っていない駄菓子を求めたりと、今も昔も色あせない駄菓子の魅力を、いろいろな世代の人たちとシェアしていけたら面白いですよね。
栗原さんのお話を伺う中で、昔は地域に13店舗あって賑わっていた駄菓子屋さんも今では無くなってしまい、駄菓子を製造する作り手さんも年々減ってきているということがわかりました。地域に愛された昔ながらの憩いの場がこれからもあり続けるように、栗原さんにも末永く元気でいてほしいと思います。
取材協力
※この記事は2018年9月に制作したものです。内容は取材時のものです。