「正確に・正直に・高額に」をモットーにしたブレラは、arukuオススメの信頼できる質屋さん。知って得する今時の買取事情や質屋さんこぼれ話まで、代表の秋山さんに聞いてきました!
Q.昔と今の質屋さんで変わったことを教えてください。
リサイクルショップの台頭やインターネットを利用した売買の選択肢が増えたことにより、質屋を取り巻く環境は大きく変わっています。実際、質屋の数は全盛期の1958年には2万店以上あったのに対し、2015年には3千店あまりと激減しています。ブレラを創業したのは質屋にとって決して追い風とは言えない状況の2007年のことでした。それに輪をかけるように翌年にはリーマンショックが起き、株価は大暴落…。日本経済にも大きな打撃を与え、在庫の値打ちが下がったことにより、質屋業界もダメージを受けました。それでも当時は開店間もなく、在庫が少なかったので影響は大きくありませんでした。逆にふだんはなかなか市場に出回らない商品が入ったのが印象的でした。景気が悪い時なりのお店の経営もこの時に身につけられたと思っています。
質屋は庶民の味方として困った時にこそ頼れる存在です。質屋を取り巻く環境は変わっても、単に品物を担保にお金を貸すのではなく、人と人との繋がりを大事にしたいという想いはずっと変わっていません。例えば教員時代に大熊町にいたご縁で、震災の際、双葉郡から避難してきたお客様にたくさんご利用いただき、今でもご来店いただける関係が続いています。ネットの売買にはない人情を忘れずにこれからも庶民の味方でいたいですね。
<昭和編>
現在、質草となる品物というと貴金属やブランドアイテムなどが一般的ですが、昭和の頃は家電や布団などの生活必需品を預けるのも珍しくはなかったそうです。中にはご飯が入ったままの炊飯器を持ってきた人もいたと聞いたことがあります(笑)。それだけ質屋が人々の生活にとって身近な存在だったのかもしれませんね。だからこそ、質に預けたものを流す人は今より少なかったようです。何しろその質草が流れてしまっては生活もままなりませんから。そんな質屋にとって一年で最も忙しい時期が年末だったといいます。お正月を迎えるためにお金を工面したい人や年が変わる前に出質に訪れる人など、時には行列ができるほど賑わっていたそうです。
「借金」と聞いて、良いイメージを持つ人はほとんどいないと思いますが、家や車を買う時など、必要な借金もあるはずです。銀行で借りるほどの大きな額ではなく、生活の小さい金額に対して気軽に工面できるのが質屋の役割です。現在に比べて圧倒的に情報が少なかったその頃は、地域の相場を担う役割も質屋が果たしていたそうです。また、お店を告知する手段も限られていて、電柱の看板広告や電話帳の情報が主でした。そんな中、今も昔も変わらない影響力を誇るのが口コミです。最近は質預かりの仕組みも分からないという若い方も増えているようですが、リサイクルショップともネット売買とも違う質屋の存在を真面目に伝え続けていきたいですね。口コミをきっかけに質屋を知る人が増えることを信じて。
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確かな目利きと利用しやすい安心感が魅力。 ブランド品や金の買取なら 郡山市の質屋さん『ブレラ』へ!
※この記事はaruku2019年11月号・12月号に掲載したものです。