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公開日:
2024.10.4
更新日:
2024.10.4

作業療法士|プロフェッショナル夢名鑑

作業療法士|プロフェッショナル夢名鑑

障がいのある人の生活をサポートする医療職・作業療法士にお話をうかがいました。

作業療法士は、障がいがある人の生活を満たすセラピスト

「遊びの会」でプール遊びをする岡本さん(左)。子どもたちが夢中になって遊ぶ姿を見ることがやりがいだといいます。

作業療法士とはどのようなお仕事ですか?
岡本 主に関わっているのは、生まれつきやけが、加齢によって障がいがある人。今ある身体の機能を改善しながら、可能な範囲で食事や排せつ、入浴や身支度など、生活に必要なことを自分でできるようにリハビリを行う仕事です。…というのが教科書的な答え。私が考える作業療法士とは、「障がいがある人の生活を満たすセラピスト」です。

そのように考えるのはどうしてですか?
岡本 私たちの仕事には、障がいのある人がどんな生活がしたいか一緒に考え、社会で生きていくことを応援する役割があると思っています。ある女の子の例を紹介します。その子は身体にまひがあり、箸を使うことができませんでしたが、「箸でラーメンが食べたい」と言うんです。そのままの状態ではもちろん難しい。そこで、まひがあってもできる範囲で手首を動かす方法を考え、かつその状態で使える「自助具」と呼ばれる箸を作り、リハビリをしました。

彼女は箸で食事ができるようになったことをきっかけに心が満たされ、生活が広がっていき、今では大学を卒業してソーシャルワーカー(生活相談員)として活躍しています。リハビリで生活のすべてを満たすのは難しいですが、その人の心が満たされた状態に近づけることが、その人の世界が広がる一歩になるのです。

現在、どのようなお仕事をしているのか教えてください。
岡本 障がいがある方や高齢者のリハビリ、乳幼児期の発達に関する相談などに携わっています。多くの作業療法士は、医療機関やリハビリテーションセンターなどで働きます。私も、2013年まで会津若松市の竹田綜合病院にいました。ただ、一つの場所にとどまらず、地域全体で活動できる作業療法士が求められていることも感じていました。

例えば、障がいのある人のリハビリができる訓練士は全国的に少ないし、病院で継続的にみることはできません。そのため、病院での仕事を超えて、地域で足りない部分を埋める活動がしたいと考えました。組織に所属せず、こうした「地域リハビリ」を仕事にしている人はごく少数。これからどんどん広がっていかなければならないと考えています。

病院を退職してから、大学院にも進学されたそうですね。
岡本 地域に出るとリハビリで関わる人が増えて、病院の経験だけでは通用しませんでした。子どものことや、人の心を学ばなければならないと考え、教育学・心理学が含まれる児童学を学ぶために、50代後半で大学院に進学。仕事を続けながら勉強していたので、きょう学んだことが明日すぐに役に立つ。わからなかったら教授に聞けばいい。そこで身についたものは、何ものにもかえがたい経験になりました。

現在取り組んでいるボランティア活動「遊びの会」について教えてください。
岡本 福島県内各地の体育館やプールで、障がいの有無に関係なく子どもたちが安心して遊べる場を作っています。100人ぐらいの親子連れが参加し、ボランティアも40人ほど集まります。東日本大震災直後、放射能の心配から、子どもたちは屋外での遊びが制限されていました。特別支援学校も休校となる中で、障がいのある子どもたちの居場所をつくろうと考えたのがきっかけで始まり、13年目。

障がいのある子は、知らない大人や子どもと接する機会が少ないですが、垣根なく遊ぶことは生きる力を養うことにつながります。 今後は、この活動をより地域に広げていきたいです。保育所や小学校、市町村や保健センターなどが独自で企画できるようになると、子どもたちの遊べる場所はもっと広がっていくはずです。

作業療法士になろうと思ったきっかけを教えてください。
岡本 19歳の時に母が倒れ、意識が戻らず、地元の新潟中央病院で私がつきっきりで看病をしていました。当時は作業療法士という職業が広がり始めた時期で、その病院にも作業療法士が入ってきたんです。見かけるのはいつも患者さんを笑わせる姿。私はそれが仕事なら楽そうだと、軽い気持ちで院長先生に相談すると、養成機関の受験勉強のために個室の病室を用意してもらえることに。猛勉強の末、4年がかりで合格しました。進学で母と離れることになりましたが、本来は家族がついていなければならないところを、新潟中央病院が見てくれることになりました。

卒業後、新潟ではなく竹田綜合病院で就職したきっかけを教えてください。
岡本 竹田綜合病院から養成機関に教えに来てくれていた先生に出会ったことです。その先生は、教科書に書かれている理論を語るより、まずは患者さんのためになるリハビリを実践することを大切にしていました。その思いに共感し、先生のもとで働きたかった。

母が新潟中央病院に入院している状況も理解してくれて、母は転院、私は就職という形で竹田綜合病院にお世話になることになりました。先生から教わった日々は今の私の礎になっています。

子どもたちにメッセージをお願いします。
岡本 いっぱい失敗してください。失敗することで、しなやかに回復する力が育って、自分を鍛えることになります。生きる力を育てるといってもいいですね。失敗することを恐れないで、好きだと思うものがあれば、どんどんチャレンジしてみてくださいね。

2023年には地域での活動が評価され、長年地域医療を支えてきた医療・福祉従事者を表彰する医療功労賞を受賞。「僕1人の賞ではなく、遊びの会を一緒につくってきた仲間で受けた賞」と話します。

プロフィール

 

【お名前】
岡本さん
【最終学歴】
東京福祉大学大学院
【趣味】
ギターとピアノを弾くこと
【好きな言葉】
人生には勇気と想像力と食べていけるだけのお金が必要である(映画俳優チャールズ・チャップリンの言葉)

※この記事はaruku2024年10月号に掲載したものです。内容は取材時のものです。