この仕事は、外国語を流暢に話すことよりも、意思の疎通がとれることを求められる仕事なんです。
通訳に興味をもったきっかけはなんですか?
横田 中学生になって英語の授業が始まり、よくラジオの英語講座を聞いて勉強していたんです。そのとき同時通訳の鳥飼玖美子さん(※)のきれいな発音を聞いて、同時通訳士に憧れたのがきっかけでした。でもその後もいろんな職業に興味を持ちましたね。私、好奇心旺盛な性格なんです。大学も英語以外の言語も勉強したくてフランス語学科を専攻したんですよ。
※鳥飼玖美子さん…通訳者。アポロ11号の月面着陸の同時通訳を行うなど、同時通訳の草分けの一人。
大学ではどのような勉強をしていたのですか?
横田 フランス語のほかに、アイヌ語の研究などをしました。でも、周りが小さい頃から外国語に触れている人ばかりで、流暢な発音に私は敵わないなと痛感してしまいましたね。ただ、語学学習が趣味というくらい好きだったので、勉強自体は楽しかったです。もちろん、英語の勉強も続けていて。だから、卒業後は大学院に進学して研究者の道も良いなと思っていましたね。
卒業後はどのような道に進んだのですか?
横田 教職課程をとっていたこともあり、卒業後は埼玉の県立高校で8年間英語教師をしていました。人と接することが好きなので、とてもやりがいを感じていましたね。ただ、教師として過ごすうちに一人一人ともっと深く向き合いたいという気持ちが強くなったんです。そんな中、全国の空き家対策事業で候補地の一つに都路村(現:田村市都路町)があることを知り、新天地で自分の理念を実現したいと思い、福島に来たんです。もう、30年近く前のことですね。それから、パ-トナ-も教師だったので、2人で寺子屋のような学習塾を始めたんです。
福島での生活に不安はなかったのですか?
横田 知らない土地でのスタートに不安はありましたが、地元の人が温かく迎えてくれてすぐに居心地が良くなりましたね。だから、当初の家が古くなってしまった後も都路内で引っ越したんですよ。でも、その5年後に震災があって避難を余儀なくされました。それからしばらくは知り合いの家や避難所を転々としながらボランティアで塾を続けていたんです。仮設住宅に入ってから、やっと今までどおりの仕事に戻りました。そんな状況の中、福島県で特例通訳案内士の募集があると聞き、良い機会だと思いチャレンジしたんです。この仕事は、福島を訪れる外国人旅行者などを対象に県内出身者がガイドをするんです。「通訳」とひとくくりにされがちですが、会議の場で活躍する通訳とはまた違います。だから、週1~2回の講座の他に、県内各地でガイドの実習もしました。そして、口答諮問試験に合格して認定を受けたんです。
通訳案内士の仕事を実際にしてどう思いましたか?
横田 滞在中のネット環境の整備など、細かいことまで対応することもあって最初は戸惑いました。依頼者の様々な要望に対応することがあるので、場合によってはこの仕事は通訳というよりも現地コーディネーターに近いかもしれません。海外ではフィールドプロデューサーという職業として確立していますが、日本ではあまり馴染みがないですよね。車や宿の手配など事前の準備が多くて大変ですが、人と話をするという部分はボランティアであれお仕事であれ一緒だと感じました。
通訳案内士を目指す子どもたちへメッセージをお願いします。
横田 英語を聞いて単語をストックし、うまく話せなくても恥ずかしいと思わないこと。あとは、英語以外の言語を勉強することも良いですね。少しでも英語以外の外国語を知っているだけで外国の方の対応が全然違ったりするんですよ。フランス語などを勉強したことが今に活かされていると思いますね。そして何より、自信がないからまた今度、ではなくやりたいなと思ったらチャレンジしてみて下さい。厳しいようですがこの仕事はこれだけで食べていけるものではないです。でも、いろいろな経験をする中で英語や語学が好きだという気持ちや、それを使う機会は大事にしてほしいですね。
県の特例通訳案内士の中から有志で立ち上げた、横田さんも在籍する会。英語、中国語、韓国語の案内士が在籍し、情報共有したり、仕事の依頼を一括して受けています。
- おもてなし 福島通訳ガイドの会 横田 あゆみ(よこた あゆみ)さん
- 出身地
- 埼玉県北本市
- 出身校
- 東京外国語大学外国語学部フランス語学科
- 趣味
- 世界遺産を巡ったり様々な外国語を勉強すること。
※この記事はaruku2015年10月号に掲載したものです。内容は取材時のものです。