温かいお礼の言葉が、大変な訓練や日々の勉強を乗り越える活力になっています。
救急救命士とは、どのようなお仕事なのですか?
浅倉 実は、私たち救急救命士は消防士でもあります。だから、消防車に乗って火災現場での活動はもちろん、火災の予防啓発活動もします。しかし、ほとんどは救急の現場で患者さんへの点滴や気管へ管の挿入など、救命士の資格を持っていないとできない処置があるので、そういった処置を行うのが救急救命士の仕事ですね。
浅倉さんは小さい頃から救急救命士を目指していたのですか?
浅倉 いえ、私は幼稚園の頃から白バイ警官に憧れていて、ずっと警察官を目指していたんです。だから、公務員を目指す専門学校にも進学しました。その後、いろんな公務員試験を受けた中で縁があって消防士になったんです。そのため、この仕事に就くまでは救急救命士という言葉も知らなかったんですよ。
そこから救急救命士になろうと思ったきっかけは何だったのですか?
浅倉 私が消防士になって今年でちょうど20年になるんですが、当時職場には救命士が5、6人しかいなかったんです。だから救命士は雲の上の存在で、自分がなれるなんて全く思っていなかったんです。それに、最初は救急車に乗る機会すらありませんでした。でもだんだんと先輩たちと一緒に救急車で救急現場に行くようになって、救急救命士だけが着ることのできる救急服で活動する先輩の姿を見て救命士に憧れを持つようになりました。そのくらい先輩がかっこよかったんですよね。それで、自分もなりたいと思うようになりました。
それから、どのようにして救急救命士になったのですか?
浅倉 私の場合は、まず職場内の選抜試験を受けました。その後、研修や救急業務を経て救急救命士国家試験に合格して救命士になったんですよ。ちょうど消防士になって13年目のときでした。今は、専門学校なら3年、大学なら4年通いながら履修して国家試験に合格すれば消防士になる前に資格を取ることもできますが、私のように消防士になってから資格を取る人も多いと思いますよ。
それからは、救命士として活動するようになったんですね。
浅倉 はい。今、私のいる郡山消防署は県内でも有数の忙しいところなので、1日平均10件は対応しています。1件の出動を終えるまでだいたい1時間として10時間くらい。1件行って帰りにそのままもう1件出動する、なんてこともあります。体力と気力が必要ですね。ただ、いつも若手職員に言っているのですが、この仕事は10件対応すると10回お礼を言われる。1日にそんなに感謝される仕事はないと思っています。だから、救命士として退職まで頑張りたいですね。
浅倉さんのやりがいはなんですか?
浅倉 現場で命が危険な状態だった人が私たちや病院での処置で助かり、後でお礼に来てもらったときにはすごくやりがいを感じます。私は志を持って消防士になったとは言えませんが、この人の命を助けたことが、自分が消防士になったことと縁があったのかなと思ったりもします。救命士になっても毎日の訓練はありますし、現場活動の後には医師への報告書類を作成して検証を受け、改善すべきところは指摘もされます。1人でも多くの命を助けることができるように常に勉強しなければならないのがこの仕事です。大変なことも多いですが、お世話になりましたとお礼を言われると癒やされるというか、活力になるというか。今となっては警察官ではなく救命士で良かったかなと思っています。
救急救命士を目指す子どもたちへアドバイスをお願いします。
浅倉 この仕事は技術力も必要ですが、コミュニケーション能力も必要です。なぜなら、患者さんに話しかけ、家族に「どんな風に具合が悪くなって救急車を呼んだのか」などの情報を聞き取り、最善の処置をすることが救急救命士の大事な仕事だからです。うまく聞き出せなかったり、患者さんを怒らせてしまってトラブルになったり。言葉のひとつがすごく重要なんですよ。それに、救急車を呼ぶってその人にとっては非常事態ですよね。気が動転している人にもうまく説明しながら情報を聞き出すことが求められるので、コミュニケーション能力が大切なんです。だから、私は人との出会いがすごく大切だと思っているんです。好きな人でも嫌いな人でも、いろんな人と関わることが絶対何かしらのプラスになって、自分に得るものがある。そういう人との出会いを大切にしてコミュニケーション能力を伸ばすことを続けてほしいと思います。それから、命に向き合う仕事だからこそ命の大切さを改めて感じてほしいですね。
- 郡山消防署救急係 消防司令補 浅倉 勝弘(あさくら かつひろ)さん
- 出身地
- 福島県郡山市
- 出身校
- 郡山情報ビジネス専門学校
- 休日の過ごし方
- 最近は自転車にハマり、今年に入って3台も購入した浅倉さん。これから春になったらまた自転車で通勤しようと考えているそう。
※この記事はaruku2016年4月号に掲載したものです。内容は取材時のものです。