“車”がつく乗り物なら、なんでも対応できる、そんな人でいたいんです。
若杉さんは、小さい頃から車が好きだったのですか?
若杉 車が好きだったというよりは、今の会社を親が創り、身近で働く姿を見ていて、漠然と後を継ごうと思うようになったんです。今も変わらずその気持ちは強いんじゃないかな。だんだん会社が大きくなっていき、自然に一代で潰すわけにはいかないって気持ちも芽生えたんですかね。
自動車整備士になるためにはどうしたら良いのですか?
若杉 一般的には、自動車整備士の国家資格を取るために高校から専門学校に進学することが多いです。でも私は、短大の工学部を経て専門学校に進学し、自動車整備士をはじめとする車に関するあらゆる資格を取りました。誰よりも知識を持ちたいと思い、損害保険に関する資格や、中古車の査定に関する資格、さらには、車検の合否判定ができる自動車検査員という一番上の資格も取りました。
自動車整備士とはどのようなことをするのですか?
若杉 車の修理・塗装・整備などを行うので、自動車整備士は車の医者みたいなものです。車は、整備のミス、特に車検のミスで人の命を奪う危険もありますよね。だからこそ、技術と経験を磨く必要があります。さらに、交換か修理か、など選択肢を広げるのも整備士の腕にかかっているんですよ。理想は、いくつか提案した上でお客様に一番良い案を選んでもらう。例えば、近いうちに買い替え予定の人に修理ではなく交換を提案するのはおかしいでしょ?だから、お客様の立場に立って考えることも求められます。一般的には整備や修理のイメージが強いと思いますが、中には私のように保険の手続きや事故の対処など車に関することならなんでもやる人もいるんですよ。
若杉さんは、卒業してそのまま今の会社へ就職したのですか?
若杉 いえ、最初は千葉の整備工場で働き、その後は東京や横浜の整備工場などで4年間勤めました。始めは経験も技術も無いので車を売る仕事から。今は多少変わりましたが、整備士って職人の世界なんで。私の時代は教えてもらうというよりも後ろに立って見ていて、それで覚えろと言う感じでしたから。口では一切教えない、それが普通でした。だから、根性ないやつはすぐに辞めていきましたし、必死でしたよ。
4年間で印象に残っていることはありますか?
若杉 港の近くで働いていたとき、タンクローリーの設計をしたことがありました。タンク内のホースの動線を考えたりして。多分、自動車整備士でタンクローリーの構造がわかって整備できる人ってほぼいないと思いますよ。実際、港町でもないとそんな機会はまず無いですから。でも、それも車と名前が付くなら全部やろうと思っていたので、良い経験になりましたね。
一番技術力を伴う工程を教えてください。
若杉 一番センスがでるのは塗装です。この車の色は何番で、それを作る組み合わせの色指標はあるんですが、それを実際に車の色に合わせても一致しないんです。新車だと色の変化は少ないのですが、気がつかないだけで、日焼けなどにより微妙に色が変わってしまっているんですよね。だからまず本来の色を作り、その後で明るい色が足りなければ黄色を入れるとか、微調整が必要になってくるんです。その時の色に合うか合わないかを見極めなければいけないのですごくセンスが問われますね。一台一台、色が違うんですから。まさに職人の世界ですよ。最初はやれと言われてもできないです。
技術力が問われるのですね。
若杉 そうですね、この仕事は特に技術の差が出ます。他にも、修理を依頼された車がその場ですぐ症状が出ないこともあります。そんなときは、お客様から聞いた症状に対して考えられる原因が何か、今までの自分の経験や知識を元にいくつか出して怪しいところから一個ずつ調べていくんです。これは経験がないと難しいことですよね。そういった面でも職人気質の仕事だと思いますし、経験を積んで活かしていかなければこの仕事はつとまりません。
自動車整備士を目指す子どもたちへメッセージをお願いします。
若杉 この仕事にやっておいた方が良いというものははっきり言って無いです。というのも、見てやって覚えて、初めてできるようになる仕事ですから。そして、整備士は自分のミスで人の命を奪うことだってある、人の命を預かる仕事。その責任の気持ちを忘れないでほしいですね。あとは、どの仕事もそうですけど、「好きに勝るものはなし。」いくら才能があっても、続くか続かないかは好きかどうかに関わってくると思うんです。だから、今車が好きなら、とことん好きになっていくのが良いですね。
- 富田オートサービス 若杉 利二(わかすぎ としじ)さん
- 出身地
- 福島県郡山市
- 出身校
- 日本大学東北高等学校
- 趣味
- 最近はなかなか時間が取れないけれど、昔はよくサーフィンをしていたそう。服も好きで、高校生の頃はアパレルの仕事をしていたことも。
※この記事はaruku2016年6月号に掲載したものです。内容は取材時のものです。