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公開日:
2018.12.28
更新日:
2020.5.18

役者 西田敏行さん(前編)| プロフェッショナル夢名鑑

役者 西田敏行さん(前編)| プロフェッショナル夢名鑑

ドラマや映画で様々な役を演じ、私たちを楽しませてくれる役者。今回はaruku10周年を記念して、福島県が誇る名優・西田敏行さんにインタビューしました。

僕の情操を育ててくれたのは、小原田の田舎的環境と、街の映画館でした。

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インタビューを行ったのは昨秋11月。「福島は温泉やラーメンも、人も土地も全部好き」とおっしゃるほど、地元福島愛にあふれる西田さん。温かい人柄はテレビのイメージのまま。こちらの質問に1つ1つ丁寧に答えてくださいました。

西田さんは郡山市小原田出身ですが、どんな少年時代を過ごしていましたか?

西田 昔の小原田は雨じゃないのに子どもたちみんな長靴を履いていたんですよ。舗装されていないから道が悪くて。堆肥を積んだ馬車も走っていたし。ふわんと田舎の香りがする所でした。そしてよく友達と田んぼでチャンバラごっこをやったり、阿武隈川で泳いだりして遊んでいたね。週末になると養父に街の映画館によく連れていってもらいました。あの頃は、郡山駅前に映画館がたくさんあったんですよ。特に東映の時代劇が大好きで、勧善懲悪のストーリーを見てはいつも気持ちよく映画館を出ていたなあ。それに2、3本立て、時には6本立てなんていう日もあって、1日中映画館で過ごしてた。で、そのうち「いつか、スクリーンに映る人間になってみたいなぁ」と思うようになって。

そこから、役者の道を目指すようになったんですね。

西田 でも、当時はちょっと現実的じゃなかったんだよね。中学になると周りのみんなは農家を継ぐとか、工場で働くとか、高校に進学するとか話をするんだけれど、役者になりたいと言う子どもはほとんどいなかった。「オレ映画俳優になりたいんだけど」と言っても、みんな「はあ?」という言う感じ。でもね、もう想いの方が強くて、とにかく東京に出たかった。標準語になれば、福島弁も郡山弁もしゃべれる、良い役者になんでねぇかなぁなんて、子ども心に思ったんだね。お陰でこうやってバイリンガルになれたんだから、たいしたもんだよね(笑)。

高校進学と同時に東京に出てきたときの気持ちはどんな感じでしたか?

西田 上京した喜びはあったんだけれど、都会の雰囲気とは反対に、田舎ののんびりした暮らしがやっぱり懐かしくなって。その頃、蒲田から新宿を経由して中野まで電車通学していたんだけれど、ある日学校をサボって上野まで行ったの。中学3年のときに修学旅行で上野動物園に行ったことを思い出してね。そこで、ぽつんとひとりで空を見つめていた「ブルブル」に出会ったんだ。ブルブルはアフリカから来たゴリラで、その見つめる空の先はアフリカの空があるんだろうなぁと思ったら、ホームシックになっていた自分と重なって、ものすごくフレンドリーな気持ちになって。それからよくブルブルに会いに行ったよ。

そこで夢を諦めたり、郡山に戻る気持ちはなかったんですね。

西田 自分が役者になりたいって気持ちの方が勝っていたし、割と大見得切って郡山を出た以上は、そう簡単に挫折はできないぞ、と。だから目的達成するまでは帰るまい、友人たちとも会うまいと心に決めていたからね。まぁ、近いから会いたくなったら帰りましたけど(笑)。

そして、高校を卒業後、西田さんが本格的に演技の道に進むわけですね。

西田 一応大学に進学したんだけれど、日本演技アカデミーという俳優養成学校に入りました。役者の道はそこからですね。そこで知り合った仲間と劇団も作って、公演活動もやったんだけど結局解散して。それから芝居浪人を経て、今度は青年座の養成所に入って。たまたま安部公房の「友達」という公演を見て、あぁ良い芝居をするなぁと。そこでまた2年、芝居の勉強をして…。だからちょうど大学と同じくらいの年数が、芝居の勉強期間に全部かかったわけだね。22歳の時に正式に団員として入って、その翌年か。「写楽考」って舞台で主役をもらったんだ。

団員になって、1年で主役に抜擢されたんですか!

西田 作ったのは矢代静一さんという、日本を代表する劇作家なんだけど、彼の写楽像は目だけギョロギョロして、ちょっと猫背で、ギラギラしてる青年がそこにいた。あの当時、自分もそんな感じだったんで、これ、オレだっ!て思ったんですよ。それが5年も続くロングランヒットになり、僕の劇生の1つの大きなエポックになりましたね。

写楽考をきっかけに、テレビにも出演するようになるんですね。

西田そうですね。東京の公演の時にNHKのプロデューサーの方の目に止まって。昔はプロ野球のスカウトマンみたいに、テレビ局の人が舞台とかを見に足繁く通っていたんですよ。そんな中で、オレに目をつけてくれた。出演したのは「北の家族」という朝の連続テレビ小説で大工の役だったんだけど、公園を歩いてたりすると「アンタ大工の源さんでしょ?」とか言われるの。あぁテレビの影響力はすごいなあ、顔を覚えられるというのはこういうことなのかと、初めて知りましたね。

―テレビドラマ出演をきっかけに、「西遊記」「池中玄太80キロ」「釣りバカ日誌」等、どんどん代表作を重ねていく西田さん。後編では、役者としての思いやメッセージなどをたずねていきます。

後編はこちら

Profile
福島県郡山市出身
1947年 11月4日生まれ。
1966年 明治大学入学と同時に日本演技アカデミー夜間部に入る。
1968年 青年座俳優養成所に入り、1970年に青年座座員になる。
1971年 舞台『写楽考』で主役に抜擢。
1973年 NHK連続テレビ小説『北の家族』に出演。テレビドラマや映画への出演が増え始める。
1978年 『西遊記』(日本テレビ)に猪八戒役でレギュラー出演。
1980年 『池中玄太80キロ』(日本テレビ)でドラマ初主演。翌年、第2シリーズの主題歌『もしもピアノが弾けたなら』が大ヒットし、紅白歌合戦にも初出場。
1984年 NHK大河ドラマ『山河燃ゆ』で主演を務める。以後、『翔ぶが如く』『八重の桜』、昨年放送の『西郷どん』まで数多く出演。
1988年 映画『釣りバカ日誌』シリーズに出演。20作(特別編を入れると22作)まで約22年に及ぶ長期シリーズとなる。
2008年 紫綬褒章を受章。
2018年 春の叙勲で旭日小綬章を受賞。9月に福島県県民栄誉賞を受賞。
現在、「人生の楽園(テレビ朝日系)」ナレーション、「探偵!ナイトスクープ(朝日放送テレビ)」にレギュラー出演。1月には「釣りバカ日誌(テレビ東京)」新春ドラマスペシャルが放送予定。

※この記事はaruku2019年1月号に掲載したものです。内容は取材時のものです。